例の穴。あの王様の耳のたぐいの。

大声で独り言を言っています

「選択と集中」と言う選択について

よく経営者の方は選択と集中という言葉を口にされます。

それは時には自社の分野だったり顧客の分類だったり意味合いはそれぞれで、何を目指してそのようなことをおっしゃるのかは、バラバラだけど、とりあえず聴く分にはなるほどと言うことがほとんどです。

曰く「正直経営環境が苦しい中で、業績を向上させるには得意分野をもっとのばそう」であったり「労働生産性を上げるには手広くやっているのは不合理だ」「これから正規雇用は減るからいままでのやり方ではまずいのだ」などなど。

確かにかのスティーブ・ジョブズはAppleのCEOに返り咲いてから商品ラインを絞りにしぼって最終的にはHWはPCとスマートフォンに、ソフトウェアはOSとOffice系、アート系のプロッフェッショナル用に絞り込んだ上で、アクセサリのHWと共通基盤のitunesを付け加えました。あとapple storeのようなチャネルもすこし作られました。

IBMの場合はPCをLenovoに切り売りし、次はx86系サーバを売り払ってSIとメインフレームなどのサービスと超高付加価値製品にシフトしようとしています。

MicrosoftはなんだかんだでOSとOffice、xbox、azureを核としてIPネットワークにアクセスするには少なくとも誰でも何らかのMicrosoft製品を通過するべく頑張っていらっしゃいます。

なるほどなるほど。確かに世の中の経営者は他社を見ている訳です。私がつとめる会社の社長もおそらく、こういった事例に影響を受けているのでしょう。

ここまで書いといてなんですが選択と集中という手段を非難するつもりはありません。上記の通り当たりの事例、当たりそうな事例はたくさんあります。だけど、私が言いたいのは成功した、成功しそうな事例のところは、ちょっとほかでは真似できないような得意分野があるという前提がありますよねということです。

Appleの場合はジョブズの描き出す世界観とそれを具体化した製品群が彩っていました。IBMでも色々あったけど、その無理難題を解決してきた実績は数知れず。Microsoftもこれだけoffice系のデファクトスタンダードを作ってしまえばそりゃ強い。

一方でまあ他にもできるような強い状況を持ってる、持っていた代表はシャープとサムスン、facebookか。シャープはもう皆さんご存知の通り、液晶一本足の選択と集中の極地を行ったところだし、サムスンは液晶でそれを尻目にイケイケで行ったはずなのにスマホでトップに躍り出るや、驕る平家は久しからず。そりゃいかにイカした製品でもみんな持ってりゃ買いませんわな。facebookはなんとかwahts appの買収で窮地をなかったことにしつつも、日本の皆さんなら「あっ所詮mixiみたいなあれね。結局ああなるんじゃないの」という状況。

世の中のしのぎを削っている会社でもこんな状況です。果たして下々の会社には選択する余裕、集中する余裕なんてあるんでしょうか。「いやうちは市場が違うから」とか「うちは長年の付き合いがあるから」とか「うちは親方日の丸だから」とかおっしゃるのはわかります。言いたいのはわかります。でもその市場がなくなったらどうするんでしょう。「うちのブランド」がいつの間にか価値をもってなかったらどうするんでしょう。

そもそもその言い分があるということは、既に能動的か自然にか選択と集中した結果じゃないですかね。「うちのブランド」を下支えする技術力は今どれぐらいあるんでしょうか。そもそもあるんでしょうか。

じゃあどうすればよいかってのは、よくある反論っぽい論点ずらしですが、少なくともいまの活動の活動量は増やすべきじゃないですかね。定量的にそこをやってから、だめな場合は初めて質的転換じゃないですかというのが私の考えです。

暴論をいってしまうとまだまだ日本の多くのサラリーマンは暇していると思いますよ。