例の穴。あの王様の耳のたぐいの。

大声で独り言を言っています

国際化と現地化、それっぽく言うとglobalizationとlocalizaitionなのかな

別に言っていることに賛成も反対もないけど、コレに賛成している人、これをもって日本の企業文化をたたく人には、サムスンが現地化を徹底したから勝ち上れたって話はしてほしくないね

ネスレ日本「入社式なんてあるのは日本だけ」 入社式を廃止し初日から仕事 : [2ch]お料理速報 http://oryouri.2chblog.jp/archives/8315697.html 

右傾化と嫌韓

さて昨今ではネットの影響から日本の世論、意識が右傾化しているという指摘はかなり多く見られます。特に韓国(場合によっては中国、北朝鮮)が批判される文脈の中で言われているようです。カウンターと称されるネトウヨの言論に対抗する方々は特に2chでの一方的な言論がまとめブログで増幅したことに原因を見られているようです。

それ自体はネトウヨ側の私もある程度納得感がありますが、そもそも右傾化するとはどういうことなんでしょうか。右傾化=嫌韓なんでしょうか。ちょっと妙な気がしないでしょうか。

右翼という言葉の語源からするとフランス革命時の国民議会の席次から保守的な考え方をするということですから、右傾化とはどんどん保守的な考えになっていっているということです。では保守とはどういうことでしょうか。「保守主義の父」と呼ばれるエドマンド・バーグの考えを私なりに援用すると理性によって考えだされた自然権、人権によるのではなく、過去に生きた人々の知識、考え方が形成してきた摂理によって考えるということとなります。

ということは右傾化=嫌韓とするならば、昔の人々の考えに基づき嫌うようになったということになります。

では韓国は昔は嫌われていたので改めて嫌われるようになったのでしょうか。それとも韓国が変わってしまい、昔の考え方に立脚すると嫌われるはめになってしまったのでしょうか。私はこの考え方は意味がないものと思っています。物事は常に移り変わるし、昔もその時点の切り取り方で韓国を友好国だと考えていたり、敵対国だと思っていたり様々です。現代に日本の対韓感情が日韓基本条約締結時と河野談話発表時で一貫していると考えている人はいないでしょうし、朴正煕大統領と朴槿恵大統領の対日政策を比較して韓国が連合国の占領下からの独立以来常に一貫した主張をしていると考えている人もいないでしょう。

つまり右傾化しようが左傾化しようが韓国が好かれることと、嫌われることは関係ないのです。その証左として一般的に左寄りと呼ばれる朝日新聞は戦後の記事の中で韓国批判をしたり韓国友好を訴えたり移り変わっています。

ということは、本屋さんに嫌韓本が並んでいるという状況をみて、右傾化を言う人がいますが実は関係ありそうで関係ないことを適当に結びつけいているということになります。

その手の人に対しては、ネトウヨの人はちゃんと何も考えていないアホだよねと指摘してあげましょう。カウンターの人は自分たちの考えの足を引っ張るアホとしてちゃんと総括してあげましょう。

そういう意味では前回の茂木さんはまだましだったということです。

じゃあネトウヨとそのカウンターは何で対立しているんでしょうか。ネトウヨとはなんなんでしょうか。またの機会に考えてみようと思います。

バカとネトウヨと評論家と

私はもう何年もまえからネトウヨです。ただもう今はこの手の話題は耳にするのもうんざりです。

こんな考えになり始めた当時は、かの桜井誠さんもdronpaという名前で活動されていました。ただどんどん隣国の行動が過激になりその活動内容のアホさ加減が果てしなく増大するわ、在特会やネトウヨの先鋭化が激しすぎてこれまたアホな方向に凄いスピードで向かっていくわ、いまさら反日への反論、嫌韓、嫌中煽りで一山当てようとするマスコミがひたすら同じような内容をくりかえすわでこの分野の話は疲れてしまいました。

だから韓国がどうしたや中国がどうしたや安倍首相がどうしただけであれば、かなりどうでも良くなってしまいました。もしかしたら私以外にもそのような方はいらっしゃるかもしれません。そこで私流のおすすめの韓国語、中国語の理解の仕方をせっかくなので書きましょう。簡単です。朴大統領が「慰安婦問題が〜」というのは日本語で言う「こんにちは」です。習主席の「歴史認識が〜」というのは日本語で「今日はいい天気ですね」にあたるのです。皆さんまじめなので直訳して解釈し、イライラしたりショックを受けたりされていると思いますが、韓国語と中国語は直訳ではいけないのです。ちょっとこつが必要です。これがコミュニケーションという奴です。

dronpaさんと同時期に活躍していたこの手の分野のネットの論客にmumurさんという方がいらっしゃいました。彼はそれはそれは筆鋒鋭く、時には独自取材をされて日本人を差別的に取り扱う人々に切り込んでいらっしゃったように思います。そしてほぼ2007年には活動をやめられていらっしゃいます。話はそれますが、差別というのは私は理不尽に分類ごとに対応を変えることと考えています。書き出したらきりがないので、またどこかでこれを主題に書いてみようかと思います。

彼にはこの状況が見えていたのかもしれません。相手は話してもわからない相手であること。現実の政治活動を行うというにあたって左翼の人々とやり方は同じになってしまうこと。嫌韓、嫌中、反反日はよほど注意しないとその魅惑にあらがいきれず商業化したとえ初期の言説がそれなりに良かったものであっても曇りうること。

 

そんなこんなで韓国話、中国話、ネトウヨ話等々には突っ込むのも面倒くさいのですが、マスコミ、評論家が絡むとちょっと別です。なんせ仕事でされているんですからね。プロとしてそれどうなの?と言う方向から引っかかってしまいます。朝日新聞さん、得意の総括はまだですか?ごめんなさいしないといけないことあるよね。

インテリの言説が左翼気味なのは別にいいんです。インテリは自分が頭がいいから、性善説をとるし、きっと相手も話せばわかるだろうという立場に立っているんですから。またインテリの行っているような活動、商売は平時じゃないと成り立たないものがほとんどなのでそうなるんです。究極的にはインテリは指導者層でいい暮らしができるようになりますしね。

ようやくここからが今日の突っ込みポイントなんですが、そのインテリというブランドを使いながら、マスコミに場を提供してもらい商売を行う方が世の中には少なからずいらっしゃいます。茂木健一郎さんもその一人でしょう。テレビやマスコミで何らかの言説をおっしゃるときに品川区の茂木健一郎さんではなく、脳科学者の茂木健一郎さんだから場を得られるし、人々も話を聞いてみようと思うはずです。

そんな茂木健一郎さんがTwitterでこんな発言をされています。

 

日本は「右傾化」しているんじゃなくて、「愚鈍化」しているんだよ。昨日、本屋行って、「嫌韓」とか「反日」とかそういう感じの本がずらっと並んでいるのを見て、マジで、こういう本を書くやつも、読むやつも、頭悪すぎ、って思った。

 

別に思う分にはかまわないでしょう。自分の中の話だけですから。ただTwitterで表明するということはやはり何らかの思いがその裏側にあるはずです。正義感にかられたや、ほとほとあきれるばかりの社会に警鐘を鳴らしたいやら、とにかく可哀相な韓国や中国をいじめるのは許せん!やら。まあ私の勘繰りですが。

ただインテリであるからには、あからさまな論理の飛躍はゆるされない。「日本(の大衆)が愚鈍化する」というのと「嫌韓」「反日」(筆注:おそらく韓国や中国の)がなぜ直結するんでしょうか?文を読む限りは茂木さんが観察した事柄は本屋さんで嫌韓や反日に関する本がならんでいたことでしょう。では茂木さんは反米や反露、反EUの本は見たのでしょうか?少なくとも気に留めてはいないようです。

さて茂木さんのおっしゃることを振り返りしょう。「嫌韓」「反日」の本が溢れ帰る原因は日本が「愚鈍化」したからだそうです。そうならば、まずインテリとして茂木さんには日本が「愚鈍化」するのを止められなかったことを反省してもらいたいものです。それがインテリのnoblesse obligeってもんです。まあそこは置いておきましょうか。

そして茂木さんの観察された事柄をみるに嫌われているのは韓国だけのようです。まあ一般的な様子も含めて韓国と中国のみとしましょう。ということは茂木さんの考えに基づけば、日本人はアホになったから韓国と中国だけが嫌いになったようです。それはたまたま韓国と中国だけがとばっちりを食らってしまったのでしょうか?それならば韓国と中国はとてもとても可哀相ってもんです。理不尽ですもの。茂木さんは日本を批判する前にその理不尽さ、正当性のなさを指摘するべきです。被害者の救済をするのが近現代を引っ張ってきた民主主義と法治主義を志向するインテリの仕事のはずですし、そもそも価値のある、少なくとも優先度の高い言説でしょう。

にもかかわらず茂木さんは日本のアホさ加減を批判する方を選択しました。ということは、どうやら茂木さんもうすうす韓国や中国が批判されるのは、完全に偶然とも思っていないようです。何らかの韓国、中国側の根拠はあると思っているようです。しかし批判される原因を日本がアホになったこととしました。なんで茂木さんが韓国や中国側の根拠よりも、日本がアホになったことの方が原因として強いと思ったのかは謎です。今回、茂木さんがちゃんと確定申告したのかどうかと同じぐらい謎です。

日本が「愚鈍化」したってのは結構衝撃的な言説です。今日は昨日よりも、昨日はおとといよりも、俺もお前も大五郎もどんどんアホになっていっている上に、茂木さんに君たちはアホなんだよ、どんどんアホになっていっているんだよと言われているということです。これぐらい、結構傷つくことをいっているのに、茂木さんがそう判断した根拠を示されないのです。ひどい話ですよね。

ただ性格が最悪な私はこうも思うのです。茂木さんは実はインテリではないんじゃないかと。ただ「嫌韓」「反日」が何となく気に入らないのか、ちょっと人と違うことが言いたいだけではないのかと。謎は深まるばかりです。

 

(補足)20140301

twitterだから全部書ききれなかったんだよとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、茂木さんはこの発言の前後で根拠にあたることは書かれていません。また日本人がアホになったことはアンネの日記事件とあわせて感じとられたようですが、気になる方は茂木さんのtwitterをご覧ください。

【読了】我孫子武丸「殺戮に至る病」

ミステリーの名作らしい。

というのも普段からそれほど小説を読むわけではないので流行や定番がよくわかっていない。

それでも昔々、藤原伊織のテロリストのパラソルを読んだことを思い出した。とてもハードボイルドで特に若い人には大人の男の魅力を感じさせる小説だったような記憶がある。そんなこんなで人の感想を見て回っていたところ、テロリストのパラソルが好きな人にはきっとお勧めということで本小説があげられていた。

小説や物語という商品はとても売り方の難しい商品だと思う。内容を伝えてしまったら魅力が大幅に減じる場合があるし、三島のような文章、言葉遣いが魅力的な場合はどのような書評でも作者の魅力を引き出すことが難しいだろう。

さらにミステリーとなってしまうとこれはもう大変である。当然、ネタばらしをするわけにもいかないし、ストーリーについて言及しなさすぎたら、どれも大体、殺人事件が起きましたになってしまう。叙述トリックの場合はそもそも叙述トリックが使われていることを言及してしまうと新たな読者はその点に警戒してしまう。

だから自分に合うミステリーに出会うことは本当に幸福なことであるということと、評判や定番、王道というのはやはりそれに近づく近道なんだなあと思うばかりである。

そんなことを書きながら感想を書くのだが、上記の通りできっと私の文章では魅力を伝えきれないので下記は備忘録である。読まないでください。

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さて本作は読了といいつつ、きっと2回読まないと真の魅力には到達できないのだろうと思う。しかしいささか読者に負担を強いる場面描写が多く、私にはすんなりと二周する元気はない。

途中まではグロテスクなホラーかなと思っていたが、ちゃんとミステリーだった。特に後半の徐々に真相が明らかになりつつある流れで、自分の頭で組み立てていたパズルのピースがぼろぼろ崩壊する様は気持ちがよい。

ちょっと間をあけてまた読み返してみよう。

とりあえず次は同じく推されていたハサミ男を読んでみよう

「選択と集中」と言う選択について

よく経営者の方は選択と集中という言葉を口にされます。

それは時には自社の分野だったり顧客の分類だったり意味合いはそれぞれで、何を目指してそのようなことをおっしゃるのかは、バラバラだけど、とりあえず聴く分にはなるほどと言うことがほとんどです。

曰く「正直経営環境が苦しい中で、業績を向上させるには得意分野をもっとのばそう」であったり「労働生産性を上げるには手広くやっているのは不合理だ」「これから正規雇用は減るからいままでのやり方ではまずいのだ」などなど。

確かにかのスティーブ・ジョブズはAppleのCEOに返り咲いてから商品ラインを絞りにしぼって最終的にはHWはPCとスマートフォンに、ソフトウェアはOSとOffice系、アート系のプロッフェッショナル用に絞り込んだ上で、アクセサリのHWと共通基盤のitunesを付け加えました。あとapple storeのようなチャネルもすこし作られました。

IBMの場合はPCをLenovoに切り売りし、次はx86系サーバを売り払ってSIとメインフレームなどのサービスと超高付加価値製品にシフトしようとしています。

MicrosoftはなんだかんだでOSとOffice、xbox、azureを核としてIPネットワークにアクセスするには少なくとも誰でも何らかのMicrosoft製品を通過するべく頑張っていらっしゃいます。

なるほどなるほど。確かに世の中の経営者は他社を見ている訳です。私がつとめる会社の社長もおそらく、こういった事例に影響を受けているのでしょう。

ここまで書いといてなんですが選択と集中という手段を非難するつもりはありません。上記の通り当たりの事例、当たりそうな事例はたくさんあります。だけど、私が言いたいのは成功した、成功しそうな事例のところは、ちょっとほかでは真似できないような得意分野があるという前提がありますよねということです。

Appleの場合はジョブズの描き出す世界観とそれを具体化した製品群が彩っていました。IBMでも色々あったけど、その無理難題を解決してきた実績は数知れず。Microsoftもこれだけoffice系のデファクトスタンダードを作ってしまえばそりゃ強い。

一方でまあ他にもできるような強い状況を持ってる、持っていた代表はシャープとサムスン、facebookか。シャープはもう皆さんご存知の通り、液晶一本足の選択と集中の極地を行ったところだし、サムスンは液晶でそれを尻目にイケイケで行ったはずなのにスマホでトップに躍り出るや、驕る平家は久しからず。そりゃいかにイカした製品でもみんな持ってりゃ買いませんわな。facebookはなんとかwahts appの買収で窮地をなかったことにしつつも、日本の皆さんなら「あっ所詮mixiみたいなあれね。結局ああなるんじゃないの」という状況。

世の中のしのぎを削っている会社でもこんな状況です。果たして下々の会社には選択する余裕、集中する余裕なんてあるんでしょうか。「いやうちは市場が違うから」とか「うちは長年の付き合いがあるから」とか「うちは親方日の丸だから」とかおっしゃるのはわかります。言いたいのはわかります。でもその市場がなくなったらどうするんでしょう。「うちのブランド」がいつの間にか価値をもってなかったらどうするんでしょう。

そもそもその言い分があるということは、既に能動的か自然にか選択と集中した結果じゃないですかね。「うちのブランド」を下支えする技術力は今どれぐらいあるんでしょうか。そもそもあるんでしょうか。

じゃあどうすればよいかってのは、よくある反論っぽい論点ずらしですが、少なくともいまの活動の活動量は増やすべきじゃないですかね。定量的にそこをやってから、だめな場合は初めて質的転換じゃないですかというのが私の考えです。

暴論をいってしまうとまだまだ日本の多くのサラリーマンは暇していると思いますよ。

このブログを書くにあたって

私は小心者です。

そして様々なニュースを伺うと突っ込みたくなる、一言言わずにはいられなくなるというややこしい性格です。さらには若い頃からず〜っとアニメや漫画、特にTVゲームが好きでしたが、年を取ったからか、それすらやる気になれない状況です。

そんなこんなで大体何もないときはお酒を飲んで仕事に行く日々ですが、さすがにどうだろうと思い、ちょっと思ったことを王様はロバの耳的に叫び込むために作ったのがこのブログです。

読んでくれる方がいらっしゃったら幸いです。

 

またせっかく書くからには私の敬愛する思索の副作用(http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070710/135723/)の筆者である仲森智博さんのような軽妙洒脱な文章が書けるように精進していきたいです。

 

Twitterで叫んでも、facebookに書き残しても結局は問題ないんですがなんとなく匿名で始めてみます。